「働くこと」について考える。

「どう生きるか」(ライフ)に軸足を置き、「どう働くか」(ワーク)のヒントとアイデアを共有します。

あなたは何のために生きているのですか?

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「あなたは何のために生きているのですか?」

どうでしょう、何かすぐに思いつくこと、ありますか?

自分が生きている目的について。

生きることにもちろん正解などはありません。

理由なき人生だって、あっていいわけです。

「人生こうあるべき」などと、誰かが勝手に決めたあるべき姿に縛られて生きるなんて、まったくもって意味がないことですし、生きることが苦痛になってしまいます。

明確な目的なく、ただ「なすがままに生きる」という人生であっても、周囲に迷惑さえかけなければ、それはそれでその人の生き方なのです。

誰からも否定されるものではありません。

例えば、日本国憲法の第25条には、国民の生存権と、国の社会的使命と責務についてを以下の通り規定しています。

第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

何をもって「最低限の生活か?」という議論は残りますが、目的は何であれ、生きる権利は誰にでも平等にあるのです。

 

「あなたは何のために生きているのですか?」

「働くために」「やりたい仕事のために」という方もいらっしゃるかもしれません。

もちろん、これもひとつの人生のあり方、考え方です。

私も、人事の仕事に就いた当初は「人生のかなり多くのの時間を仕事に、職場に費やすのだから、働くことの充実感は人生そのものであり、人生とは働くこと!」と決めつけたところがありました。

しかし、人並みに社会経験を重ねていくうちに「人生は仕事をするためにある」のではなく、「生きていくためのひとつの手段として仕事がある」という、常識的な、当たり前の思考に変わってきました。

もともと、私の人生観や職業観も、当時の多くの人と同様、昭和の時代特有の、全体統制による「あるべき姿」のべき論から強く影響を受けていました。

・大きな会社、有名な会社に入社することが成功者。
(就職ではなく就社活動)

・そのためには、良い大学を卒業する。
(受験突破のための知識詰め込み学習)

・就職浪人、無職は絶対ありえない。
(「働かざる者食うべからず」が常識、働かないことは超非常識)

・入社したら途中で辞めず定年まで勤め上げる。
(周囲からの非難、世間体の恐怖、人生の負け組)

実際、入社後若くして退職し、家でふらふらなんかしていると
「◯◯さんの家の◯◯君、会社辞めて家にいるらしいよ!」
「えっ、何かあったのかしら。真面目そうな子だったのに…」
とあっという間に、近所で話題の人になってしまうことも。

働くことに何か普通ではないこと、問題があると、社会人として失格、人生の落後者、人間として…
とまで言われるのがごく普通の時代でした。

仕事で、親の死に目に会えない、ということがあっても「社会人として凄い!」「一流!」「できる人!」と称賛されたり、ワーク・ライフ・バランスを大事にする現在では、ありえないことですね。

ただ、当時は、本人世代よりもさらに上の親世代は、家庭の事情で仕事に穴を開ける、会社に迷惑をかけるというのは、絶対にあってはならない、ということが勤め人としては絶対的なことで、そう躾けていましたので、病床の親も子が仕事で頑張っていることがむしろ安堵でもあったわけですが…。

 

長く人事の仕事をしていると、いろいろな人との出会いや、人生を考える出来事も多く、いつのまにか「働く」ということについての思考が変わってきました。

人は働くために生きているのではない、働くことが人生の目的ではない」と。

まずは、自分らしく「どう生きるか」(ライフ)に軸足を置き、その上で「どう働くか」(ワーク)が大事だなと。

それが、「今日を大事に生きる」「今を生きる」ということだなと。