自分らしく生きるヒント

「どう生きるか?」(ライフ)と「どう働くか?」(ワーク)を哲学し、自分らしくスマートにシンプルに生きるヒント

人材と「人財・人在・人財」の話。

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人件費は、コスト?投資?

人を雇うと給料や社会保険料などいろいろとお金がかかります。

これを「人件費」と言います。

人件費を「コスト」と捉えるか、付加価値を創出するための「投資」と捉えるかは、経営者次第であり、その考え方が、そのままその会社の風土・社風にもなり得ます。

例えば、業績が悪くなった時、コスト削減として真っ先に賃金の引き下げに着手するのか、賃金は投資であり、聖域としてギリギリまで守るのか、それは経営者の想いだけです。

また、新卒採用の場面で「社員は財産です!」「社員を大事にしています!」と力説する経営者は多いですが、この言葉に騙されてはいけませんよ。

コレは当たり前のことですから。

個人事業主でもない限り、会社はひとりで成り立たず、組織活動・事業活動を行う上で、人材(社員)は必要不可欠です。

これからの少子化・高齢化時代においては、なおさらです。

では、すべての人材が財産(投資の対象)なのでしょうか。

人材の定義

人材には、「人財」「人在」「人罪」の3種類があるといわれます。

「人財」

継続的に高い価値を創出する人(ここでいう価値とは、直接利益をあげるだけでなく、組織や周囲に良い影響を与え間接的に利益貢献をすることも含まれます)
人在

ただ居るだけの人(でも、自分給料分は稼いでいる、または稼ぐ資質はある社員)
人罪

居ることで周囲に悪い影響を及ぼす人(問題社員、モンスター社員)

 

人財の人件費は、言うまでもなく「投資」です。

この人が居なくなると困るので、投資を惜しみません。(この場合の投資には、給料だけでなく、仕事における裁量や権限なども含まれます)

人在は、能力アップ、スキルアップで価値の創出が期待されますが、そうしたアウトプットができれば「投資」ですが、いつまでもポテンシャル(やればできるという可能性)だけで終始してしまうと「コスト」になってしまいます。

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新卒採用の場合、ポテンシャルが評価され、キャリアをスタートするのが一般的です。

すぐに、目に見えた成果をあげることは簡単ではありません。

従って、その間に支払われる給料等の人件費は「投資」の中でも、将来の活躍に期待した「先行投資」になります。

ここに、採用選考の評価基準があります。

いかに早く、高い成果(付加価値)を創出できるか。

要は、先行投資をするに値する人か否か。

その可能性を、様々な手法を用いて見極めているのです。

余談ですが、新卒採用において、早期のインターンシップが行われる目的のひとつにコレがあります。

採用直結型のインターンシップです。

数回の採用面接より、実際の仕事に近いものを与えて、仕事に対する取り組み姿勢と行動で、自社の仕事に対する適合性と職務遂行能力とセンスを見極めるための手段です。

学生の皆さんは、本来の目的の就業体験よりも「採用選考のためのインターンシップが普通である」と考えて参加するのが無難です。

もちろん、これを逆手に取れば、志望する会社のインターンシップに参加し、積極的に「できる人」アピールをすることも、有益な就活にもなるわけです。

 

人材の話に戻ります。
最後の「人罪」は、間違いなく「コスト」扱いです。
問題なのは、なぜ「人罪」になったのか、その理由です。
そもそも、採用の時点で「人罪」と思われる人は採用していないはずです。

何か、そうなる要因があったはずです。

まずそこを分析することが重要です。

人事制度や評価制度などで、働きに応じた評価で処遇し放置することは簡単ですが、人罪(コスト)を人財(投資)転換する解決策にはなりません。

この「人罪論」については、また次回の機会に。

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人材→人済??

ちなみに、ブラック企業は、人を人として扱わず、単に儲けるためのモノとしてしか見ていません。
採用するまでの熱意は、ものすごい!ですが、必要がなく、用済みの人はポイッと。
ブラック企業では、「 人材 → 人済 」が前提です。

見極めが重要です。

 

知っておくべき労働法に関する基礎知識・均等待遇について

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今では当たり前の「均等待遇」、労働基準法では以下の通り規定しています。

第3条(均等待遇)
使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他の労働条件について、差別的取扱をしてはならない。

例えば、学歴で初任給が違うこと、仕事の評価や勤務態度などで賃金額に差が生じることがありますが、学歴や成績、能力などで処遇が異なることは、ここでいう差別的取扱いには該当しません。

また、営業職はフレックスタイム制の勤務を認め、事務職には認めない、というのも職種による違いであり、こちらも差別的取扱いではありません。

労働基準法で定めるこの規定は、雇入れ後の労働条件の差別的取扱いを禁止するもので、雇入れ(採用)については対象としていません。

どういう基準で、誰を採用するかは、原則自由なのです。

しかし、企業の採用は広く自由が認められているとは言うものの、実際は、厚生労働省からの通達「公正な採用選考について」にありますように、一定の制約事項はあります。

性別での差別について記載がありませんが、こちらは「男女雇用機会均等法」という法律で別にしっかり規定されています。

この均等待遇については、日本国憲法の第14条すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」がベースにあります。

現在では、例えば性別で言えばLGBTなどその対象範囲は広く捉えられています。

信条」とは?
特定の宗教的もしくは政治的信念
社会的身分」とは?
生来の身分、例えば部落出身者のことなど

私たちがみんなで、小さな礼儀作法を…

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私たちがみんなで、小さな礼儀作法に気をつけたなら、人生はもっと暮らしやすくなる。

チャップリン

職場、職場以外を問わず、ちょっとした礼儀やマナー・気配り・心配りがあれば、こんなことにはならないだろうに… みたいな出来事や事件が多いように感じます。

とはいえ、昔は良かった、というわけではありませんが。

チャップリンの生きた戦争による過酷な時代でのこの言葉と、現代におけるこの言葉の意味は、時代が違ってもその本質的なところは同じだと思います。

いつの時代にも言える「人間の教訓」みたいなものであると。

誰もがこの言葉にしたがって生きていけば、いじめや、ハラスメント、差別などのない、誰にとっても暮らしやすい社会ができるはず、ですよね。

 

知っておくべき労働法に関する基礎知識・労働条件の決定について

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労働条件を決めるにあたり、働く人と会社は、対等な立場で決めることが前提になっています。

会社側には、人事担当や顧問社会保険労務士、顧問弁護士など、労務や法律の専門家などがいたりします。

一方で、労働組合がある大手は別として、働く側にはなかなか対等と言えるほどの知識や見識がないのが実情です。

この知識バランスの差が、そのまま交渉力の差になってしまいます。

リベラル・アーツで自由を手に入れる

会社の言いなりにならず、自由になる術として必要なのが「リベラル・アーツ(教養)」です。

自分らしく生きる」「自分らしく働く」うえで、仕事に関する専門性と同じか、それ以上に必要なことです。

無知は無関心を生み、知識者の奴隷に…。

誰かに頼る・任せるより、自分のための生きる力の強化としてのリベラル・アーツ。

freelance-writer.hateblo.jp

なぜ?・おかしい!

そう言えるためには、それなりの知識で武装しなくてはなりません。

まず、労働基準法など労働法の基本だけでも抑えておきたいものです。

労働条件の決定
第二条 労働条件は、労働者と使用者が、対等の立場において決定すべきものである。
2 労働者及び使用者は、労働協約就業規則及び労働契約を遵守し、誠実に各々その義務を履行しなければならない。

また、第2項にあります通り、会社などの使用者はもちろん、労働者もルールを守り、誠実にその義務を果たさないといけない!とあるのです。

意外と知らない人が多いのが、この条項です。

ルールを守るためには、そもそもルールがどうかを知らないと、ですよね。

このような大事なことは、中高生からしっかり教えるべき大事な教養のひとつだと思うのですが…
常日頃、そんなワークショップもやりたいと…

どーなんでしょうかねぇ

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改めて、本当の働き方改革を考えてみます。

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政治・経済ありきの働き方改革ではなく、働く人にとって本当に必要な働き方とは何か?

言うまでもありませんが、「働く」とは、生きていくためのひとつの手段です。

そして、多くの人の場合、好む好まないは別として、働かざるをえない状況にあるわけですが、生活が成り立つのであれば、もちろん働かないという選択肢もあるわけです。
いずれにしても、まずは、働くことのベースにある「どう生きるか」についてを考えることが重要です。

ただ、この「どう生きるか」といった生き方ついての思想は、生涯不変であり続ける必要もなく、自分を取り巻く状況や変化に応じて柔軟に見直すことの方がむしろ一般的です。

そして、この「どう生きるか」と「どう働くか」についての個々人の権利(義務)を明らかにしているのが皆さんがよく知っているアレです。

日本国憲法」です。

この憲法をベースに、あらためて本来のあるべき姿を検証し、イノベーティブな時代の働き方についてを考察してみます。

第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

誰もが生まれながらにして基本的な人権を持っていて、それは、誰からも侵されることのない永久的なものだとしています。
(享有→生まれながらにして持っていること)

第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

他人に迷惑をかけない限り、生きるとこ、自由であること、幸せになることは、政治や法律などで最大限に尊重されるべきものだとしています。

第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

そして、差別のない平等な社会を目指しているわけで、職業の内容や、有職・無職、正規・非正規など雇用の形態での差別も当然にありえないのです。

ただ、ここの表現は古いですね。
「等」といった例示の列挙でなく、すごく限定的であることも気になります。

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例えば、門地(家柄)も重要ですが、それよりも「LGBT」のような、いまどきの世界標準的なテーマを取り上げることが大事ではないでしょうか。

第22条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。

人に迷惑をかけない限り、どんな仕事に就くかは個人の自由ですし、退職・転職にも当然、何の制限も制約もありません。

第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

誰もが健康で人らしい最低限の生活をする権利があり、国は社会福祉とか社会保障で国民の生活を向上させるために、このようにハッキリと「努力義務」が課せられているのです。

第27条 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
3 児童は、これを酷使してはならない。

すべての国民には、働くことに対しての権利と義務があるとしています。

そして、二項には、いきなり勤務条件の具体的内容と、それを法律で定める「労働基準法」が登場するので、勤労=労働者になること、のような印象を強く受けてしまいますね。

これは、ニートや専業主婦は違法なのか?とよく議論されることですが、当然、ニートや専業主婦のように無職だからといって罰せられるものではありません。

この「義務を負う」は、戦後の日本の経済復興には国民全員の労働参加が必要不可欠という、時代背景(国の都合)から記述されているように思われます。

これは、経済成長優先で「働き方改革働かせ方改革?)」・「一億総活躍社会」の実現を掲げる今の安倍政権のご都合にも近いように感じます。

また、もうひとつ気になるのが「勤労」の義務の部分。

この「勤労」という言葉の意味には「心身を労して仕事にはげむこと」があります。(引用:goo国語辞書)

心身を労するまで働くことが国民の義務であるとすると、過労死を容認しているように受け取れますし、ましてやワーク・ライフ・バランスどころじゃないですよね。

この「勤労」が「高度プロフェッショナル制度」のようにも…。

今回は、働くということに関し、どう生きるかに関係の深い日本国憲法についてを確認してみました。

この原則に従い「イノベーティブな時代の働き方」はどうあるべきかを考えることがまずもって重要です。